復興へ励み、ラグビーの街 釜石「W杯、未来へつなげ」

Die Rugby WM wird 2019 in Japan ausgeführt. Ein Austragungsort wird Kamaishi sein – an der Stelle, wo eine Grundschule und die Higashi Kamaishi Junior High School in Unosumai gestanden haben, wird jetzt das Stadion entstehen. Alle Kinder dieser beiden Schulen konnten sich direkt nach dem großen Erdbeben am 11.3.2011 – 14:26 h in Sicherheit bringen, indem sie einem 2 km langen Weg hinauf gelaufen sind. Die Schüler hatten an einer Studie von Prof. Katada (Gunma) teilgenommen, der seit einigen Jahren intensiv mit den Schülern geübt hatte, welchen Weg sie im Fall eines großen Erdbebens nehmen müssen, dass sie nicht an Verwandte denken, nur an die Mitschüler und sich schnell durch Weglaufen auf einen bestimmten Platz in Sicherheit bringen.

2015年3月3日05時00分

 東日本大震災の津波でたくさんの人が犠牲になり、いまも避難生活が続く岩手県釜石市。阪神・淡路大震災から20年間、復興の歩みを進めてきた神戸市。ラグビーとともにあり、大きな悲しみを経験した二つの街が、W杯の開催決定の知らせに歓喜した。▼1面参照

日本選手権で7連覇した新日鉄釜石の本拠があった釜石市。W杯の会場予定地に近い旅館では、市民ら約100人が開催都市を発表するネット中継に目をこらし、決まると、全員が「かーまいし」と連呼した。

笑顔の輪に中田義仁さん(46)もいた。昨年5月、高校ラグビー部時代の仲間らと大会の地元誘致を「応援する会」を立ち上げ、賛同の署名集めに走った。

経験したことのない大きな揺れと津波に襲われたのは、家業の薬局チェーンの社長に就いた翌年の2011年3月11日。地域にあった薬局24店のうち15店が被災した。薬剤師仲間たちと約3カ月間、避難所に薬を届ける支援活動をした。

新日鉄釜石の黄金期を支えた元選手たちがW杯の誘致を市に提案したのはこの年の夏だ。だが、当時は避難所がようやく閉鎖されたばかり。中田さんに関心を寄せる余裕はなかった。

誘致を正面から言い出せるようになったのは、がれきが片付き、復興が徐々に見えてきたころ。震災から3年がすぎていた。「W杯より住宅」の声も少なくない。津波で家族を失ったメンバーらが仮設住宅を回って誘致の意義を伝えた。

釜石は候補地の中で唯一、競技場がない。予定地は津波で多くの犠牲が出た鵜住居地区にある学校跡地で、かさ上げ用の土砂が高く積まれている。市内では約4600人が今もプレハブの仮設住宅に住む。

「W杯がゴールではだめ。ラグビーでまちの活性化につなげよう」が、新日鉄釜石の流れをくむ地元チームからの提言だ。

新日鉄釜石が自宅前の国道を通る優勝パレードが小学生時代からの「恒例行事」だった。「復興を加速させ、子供たちがふるさとへの自信と誇りを取り戻す機会に、そして未来につながる大会になってほしい」。中田さんは願っている。

(山浦正敬)

■神戸の今を「世界へ」

神戸市でも関係者が開催地の決定を見守った。「釜石が選ばれれば被災者を勇気づけられるし、神戸なら復興した街並みを世界に知ってもらえる」。神戸製鋼ラグビー部の広報担当、中山光行さん(48)はチームが7連覇を遂げた2日後、神戸市の社宅で阪神大震災に遭った。被災から2カ月後には子ども向けのラグビー教室を開くなど、復興に尽力した。

関西ラグビーフットボール協会レフリーコーチで、震災で姉・紀美さん(当時35)を失った神戸市職員の是枝(これえだ)浩昭さん(53)も吉報を待った。「世界のトップチームを間近で見られれば、子どもたちの夢が広がる」(笠井正基)

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