住宅・雇用・くらし:震災4年 復興まちづくりの課題

2015年03月06日

 東日本大震災の発生からまもなく4年。未曽有の被害に遭った各地では、復興の長い道のりが続く。住宅や道路などの基盤整備から、人々が集うコミュニティーの再生へ。今、何が求められているのか。

田村満・「なつかしい未来創造」社長
田村満・「なつかしい未来創造」社長

 ◇融通利かない国の支援−−田村満・「なつかしい未来創造」社長(岩手県陸前高田市)

経営している自動車学校で今も教官として路上教習を担当している。車窓から街を見渡すと、復興の遅れを実感する。岩手県陸前高田市では山を削って出た土をベルトコンベヤーで運び、中心部のかさ上げを進めているが、あまりにも時間がかかっている。2年の期限だった仮設住宅にはまだ、4000人近くが暮らしている。住民の生活を安定させてからならいいが、行政は街づくりだけを優先させているような気がしてならない。造成を待ちきれずに、自分たちで土地を見つけて家を建て始める住民も出てきた。

かさ上げした中心部には、商店街をつくるという。ただ商店街の成り立ちというのは、まず集落があって、その人たちが必要とする物を売るお店が集まり始めて、徐々に形作られていくもの。「ここに商店街をつくるので、集まってください」というやり方でうまくいくのかも疑問だ。

震災後まもなく、地元の中小企業家たちとともに復興計画案を作って市に提案した。維持に膨大な費用がかかる巨大な防潮堤を整備することはやめ、住宅の多くを、かさ上げされた土地にではなく高台につくるという内容だったが、採用されなかった。そこで2011年秋、計画を提案したメンバーを中心に、地域の復興に取り組む会社「なつかしい未来創造株式会社」を設立して社長に就任した。

被災した街を存続させるためには、とにかく雇用を生み出さなければならない。将来的に500人くらいの雇用を生める事業を作ることを目指している。国から1人当たり250万円の補助金を受け、現在40人の起業家を育成している。農家をやっていた男性が米粉を使ったパスタを作ったり、Iターンの女性が陸前高田の野菜を「浜野菜」として東京で売ったり。ただし継続してやっていけるようにするためには、事業計画や決算書の作り方、販路開拓の方法など、会社を作った後もフォローしていかなければならないことがたくさんある。そうした面での国の支援は、薄いと感じる。銀行も、新しい産業を興そうという動きには、審査が厳しく融資利率も高い。これでは、何もかも失った人が多い被災地で起業することは難しくなってしまう。

被災した施設の復旧を支援する「グループ補助金」は、補助率が最大で費用の4分の3と高くありがたいが、あくまで被災前と同じ施設にすることが求められる。最新の設備にできないし、インフラの壊滅などで震災前にはなかった設備を備える必要に迫られても認められない。国の制度は融通が利かないと感じる。

今はどの街も、若者を定着させるにはどうすればいいかを考えている。でも、うまくいっているところは少ない。それよりも、高齢者を定着させる街づくりをしてみたらどうか。うちの社員にも70歳で働いている人がいて、生き生きと仕事をしている。農業や農産物加工の仕事もある。住宅が安ければ移り住むことを考えてくれるかもしれない。たまに子や孫が訪ねてくれば交流人口も生まれる。そういう街を目指す選択肢もあるだろう。

障害者をどう雇用していくかも、今後の大切な視点だ。歴史ある今泉という地区の街づくりを手伝っている。ここを障害者が働きやすい地区にできないか、交通手段も含めて検討を進めている。【聞き手・安高晋】

復興コーディネーターの藤沢烈氏
復興コーディネーターの藤沢烈氏

 ◇人つなぐリーダーが鍵−−藤沢烈・復興コーディネーター

4年たった今は、課題がハードからソフトへ切り替わる時期だ。岩手、宮城両県では基盤整備などのハード面ではある程度の見通しが見えてきた。一方で、人が住み、仕事が生まれていくなどの営み、ソフト面ではこれからの課題が多い。工場はできたが、商いはまだ。家や公営住宅は建ったが、コミュニティーが戻るかどうかはまだ分からないという段階だ。行政はハードは手堅くやっていると思う。一方、ソフトについては、問題意識はあると思うが、取り組みは十分でない。

私がソフト面で注目しているのは岩手県釜石市と宮城県女川町だ。釜石の場合、製鉄所があって人の行き来が多い土地柄だったこともあり、企業やNPOなど外部の人を震災後の早期から受け入れてきた。釜援隊(釜石リージョナルコーディネーター協議会)の活動もその一つで、外の力を地域の中にうまくつなげている。それが刺激になり、地域の若手の商工業者が町づくり団体「NEXT KAMAISHI」を作るなど、動きが広がった。女川は人口流出が全国一という厳しい環境だが、危機意識を持った町長や地域の皆さんが企業、NPOなどと協力を進めている。まもなく町の未来を考える「女川フューチャーセンター」や漁業体験施設が開設される。民間とつながり、民間に開かれている自治体が復興をうまく進めていると言える。

復興を進める上で一番重要なのは「人のつながり」だ。それにより、地域の中で安心して暮らすことができ、ビジネスも生まれてくる。しかし、福島県の被災地の場合、原発事故で避難生活を余儀なくされ復興の根本である人のつながりを作っていくことが難しくなっている。そこをどうするかが大きな課題だ。私たちは、同県の大熊、双葉両町で復興支援員の仕事を町から受託し、自治会など住民組織のコミュニティーサポートや町の広報サポートを行っている。

人のつながりという復興の基盤作りには、地域のリーダーの役割が大事だ。これまでは行政が頑張るかどうかが大きかったが、今後は復興を自分たちの言葉で語り、自分たちの力で進める地域のリーダーが重要になる。同じ被災者でも、地域の復興には関心の薄い人もいる。そんな方々も含めて引っ張っていくことが必要だ。だが、被災地ではそういうリーダーが不足しており、今後増えていくかどうかが復興の最大のカギになる。

支援する側は、地域のリーダーをうまく見いだして支え、リーダーが周りの人たちを巻き込んでいけるよう、黒衣になって支えていく必要がある。行政も、何でも行政でやるのではなく、住民が主体的にすることを後押ししていくことが大切だ。

幸い、支援の熱はまだ冷めていない。阪神大震災は「ボランティア元年」と言われたが、東日本大震災では企業の社会貢献の仕方が大きく変わった。企業は一過性の寄付ではなく、本業を通じて継続的に関わろうという姿勢が強くなった。NPOも、ボランティアの数は大きく減ったものの、商業をどうするか、町づくりをどうするかなどの深い課題に継続的に取り組む団体が増えている。いずれも支援の質が変わっている。行政としても、支援の情報をしっかり受け止め、きちんと評価した上で受け入れを判断する、外とのつなぎ役になる必要がある。【聞き手・冠木雅夫】

 ◇小さな村の「身の丈」で−−下枝浩徳・「葛力創造舎」代表理事(福島県葛尾村)

下枝浩徳・「葛力創造舎」代表理事
下枝浩徳・「葛力創造舎」代表理事

私が生まれ育った福島県葛尾(かつらお)村は、東京電力福島第1原発事故で全村避難となった。震災から約1週間後、村に行くと、すでに住民は避難した後だった。風景は同じだが、人だけが村から引っこ抜かれた状態。未来の村の姿を見た気がした。

中学の同期生は25人ほどで、大学に進学したのは私一人だった。村が無くなるのではないかと、当時から漠然と感じていた。約1500人だった村の人口は、今後、避難指示が解除されても、高齢化が進んで400人近くまで落ち込むことが考えられる。

私は東京で約1年間、発展途上国で井戸を掘ったり、国内の水資源開発をしたりする会社に勤めていた。だが作った井戸が使われないことがあり、技術者の限界を感じた。人と人とのコーディネートを通じた地域作りをしたいと考え、2011年3月11日、東日本大震災が起きる2時間前に会社に辞表を出していた。12年2月、持続可能な村作りのための団体「葛力(かつりょく)創造舎」を葛尾村に設立した。若くて地域作りに興味がある自分が動かなければ、と思ったからだ。

東京の友人から「人口が少なく、お金もない、大きな産業もない村にどうして関わるのか」と言われ、「葛尾村には存在価値がない」と言われた気がした。しかし、村は先祖が何十年と田を手入れし、木を植えるなど、思いを込めて作り上げてきたからこそ存在する。若い世代はその歴史と財産を知る必要がある。

葛尾村の除染は15年に終わる予定で、住民の帰還は早くても16年以降になる見込みだ。村に戻る選択も、戻らない選択も尊重した上で、新しい村作りをしなければならない。「地方消滅」が叫ばれているが、村が生き残る道はある。10万人の町が目指すようなことをする必要はない。400人なら400人の身の丈に合った「現代版の二宮尊徳の地域作り」をすればいい。

江戸時代の農政家、二宮尊徳は、飢饉(ききん)で疲弊した農村の復興を報徳仕法で成し遂げた。二宮は至誠、分度、勤労、推譲を掲げた。素直な心で、身の丈に合った地域作りを、こつこつと行い、生み出したものを他の人に分け与える。この精神を受け継ぎたい。

実践するためには、生活していくための仕事が村に必要だ。大きな工場を造らなくても、もともと地域にある資源を活用した仕事だ。そこで私は、県外の若者向けに、村の人と交流しながら地域の資源を掘り起こすツアーを企画した。発見した資源を首都圏のクリエーターやデザイナーに見てもらい、事業化しようと3年前から試みている。葛尾村の冬の保存食「ごんぼっぱ餅」の新しい食べ方を料理人に提案してもらったり、伝統産業の養蚕を生かせないかデザイナーに考えてもらったりしている。まだ事業化にはいたっていないが、仕事として成立するレベルまで持っていきたい。

今年は、帰村後にコミュニティーの拠点として使える古民家を探す予定だ。県内外の人とともに、村の人に教わりながら修復していこうと考えている。村の人は先人の知恵を若い世代に伝えてほしい。若い世代にはそれをリメークすることが求められている。

葛尾の葛の字は「人」が中心にある。葛(くず)の花の花言葉は「生命力」。人を中心にした村づくりをして、復興に必要な生命力にあふれた人を輩出していきたい。【聞き手・小林洋子】

 ◇政府の支援策

復興庁によると、政府は住宅再建・復興まちづくりを被災地復興の最重要課題と位置づけ、2013年以降これまで5度にわたり手続きの簡素化などの加速化措置を打ち出してきた。昨年末時点で災害公営住宅は被災自治体の計画戸数の16%、高台移転は計画地区の31%しか整備が完了していないが、おおむねそれぞれ用地確保や工事契約の段階に進み、難航しているのは特定の地区に絞られてきたという。

今年1月発表した「隘路(あいろ)打開のための総合対策」では、市街地中心部の商店街の再生や移転後のコミュニティー形成も課題として、専門家の派遣や事例集の作成などを対策にあげている。

■人物略歴

 ◇たむら・みつる

1947年岩手県生まれ。陸前高田など県内3カ所で自動車学校を経営。岩手県中小企業家同友会代表理事。

■人物略歴

 ◇ふじさわ・れつ

1975年京都府生まれ。一橋大卒。コンサルティング会社マッキンゼーで2年間勤務後に独立。一般社団法人RCF復興支援チーム代表理事。

■人物略歴

 ◇したえだ・ひろのり

1985年福島県葛尾村生まれ。東京電機大大学院修士課程修了。専攻は建設工学。かつらおむら村創造協議会の会長も務める。

http://mainichi.jp/feature/news/20150306mog00m040007000c.html

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