楢葉へ帰還、苦難の一歩 避難解除―戻った住民1割未満 「医者いない、店ない」

写真・図版久しぶりに自宅で夕食後のだんらんを楽しむ根本次夫さん(66)一家。「(避難指示解除の)初日だからくっぺ」と妻と長女を誘って帰って来た。年末やお盆などの節目には家族そろって過ごすという=5日夜、福島県楢葉町、福留庸友撮影

Evakuierte Einwohner dürfen in ihre Heimat zurückkehren – z.B. Naraha – Die Strahlenbelastung liegt zwischen 0 und 3 Microsievert. Unter 10% der ehemaligen Einwohner wollen zurückkehren. Es gibt keine Läden, keinen Arzt.

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 東京電力福島第一原発事故福島県楢葉(ならは)町に出ていた避難指示が5日、解除された。全自治体規模で解除されるのは初めて。戻ってきたのは、住民7400人のうち1割にも満たない。事故から4年半がたち、町は廃炉の前線基地へと変わった。いまだ避難指示が出ている福島県内9市町村の7万人余りは帰還できるか。政府が試金石とする町の復興は始まったばかりだ。▼39面=住民の思い

5日、町内で開かれた復興祈念式典には政府関係者がずらりと並んだ。仮設校舎で学ぶ子どもたちは植樹したエノキを「きぼうの木」と命名。町は祝賀ムードに包まれた。

昨年7~11月の調査では住宅地の空間線量の平均が毎時0・3マイクロシーベルトにまで下がり、政府は「帰還して居住することは可能」と説明する。だが、町の水がめの木戸ダムの湖底の土から放射性物質が検出され、飲料水の安全を心配する住民は少なくない。

町の姿は事故前とは大きく変わった。空き家状態だった多くの民家が荒れた。事故で原則立ち入りが禁じられる警戒区域に指定されたが、2012年8月から日中の立ち入り、今年4月からは宿泊もできるようになった。だが、住宅の解体や修理を担う業者が足りず、再建が進んでない。

町に戻った住民は一部にとどまる。自宅に戻る準備をするための宿泊制度に登録していたのは351世帯780人程度。実際に戻った人はさらに少なく全体の1割に届かない。

「医者もいないし、店もない」。町に戻った志賀良久さん(77)は生活の不便さを訴える。町内にあった内科医院は10月に再開され、県立診療所も来年2月に開院する。だが、住民が通院していた近隣自治体の医療機関は避難指示が出ており、閉鎖されたままだ。

町内で食料品を買えるのは仮設商店街にあるスーパーとコンビニ店のみ。町商工会によると、事故前に59店舗あった会員の小売店や飲食店のうち、先月20日までに町内で営業を再開したのは14店舗にとどまる。

4年半に及ぶ避難生活で、避難先で職をみつけ、学校に通うなどして、現役世代や子どもたちを中心に避難先で定住することを決めた人も多い。いわき市仮設住宅に住む無職男性(61)は市内に中古の一戸建てを買った。「楢葉町は治安と飲み水が心配だ」と話す。

■「復興拠点に」国は後押し

政府は、避難指示が出た区域の中では放射線量が比較的低い楢葉町を「復興の拠点」と位置づける。除染や道路、病院などを整備して町の復興を後押ししてきた。政府にとって今回の解除は、帰還政策がうまくいくかを占う試金石となる。

楢葉町は廃炉作業の前線基地となりつつある。関連産業に伴う新たな雇用を作り出し、元の住民が戻る環境を整えようとしている。

町の工業団地には、廃炉技術を研究する原発の大型模型(モックアップ)が建設中だ。日本原子力研究開発機構が運営し、研究者ら60人が勤める予定。滞在を当て込み、17年秋には町で初めてビジネスホテルが進出する。東電の関連企業の社員の宿舎も建つ。

災害公営住宅などを建てる「コンパクトタウン」には、ホームセンターや食料品店が入る商業施設をつくる計画もある。しかし、どれだけの雇用が生まれ、町にどれだけの人が戻ってくるのかは未知数だ。

福島県内では9市町村の7万人余りが戻れず、6町村は自治体丸ごと避難指示が出ている。政府は、放射線量が一定量以下に下がった地域は「17年3月までに帰れるようにする」ことを掲げる。来春には南相馬市や川俣町、葛尾村でも避難指示を解除したい考えだ。

福島第一原発のある大熊、双葉両町の大部分など放射線量の高い帰還困難区域(人口約2万4千人)は解除のめどが立たない。両町にまたがる16平方キロは、福島県内の放射能に汚染された土を30年間保管する、中間貯蔵施設となる予定だ。双葉町幹部は「5年後も何も改善していないかもしれない」と話す。

(長橋亮文

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