大槌、復興の道どこに 8月、震災後2度目の町長選 東日本大震災5年目

2015年6月22日05時00分

 東日本大震災の津波と火災で市街地が壊滅し、町民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町で8月、被災後2度目の町長選(4日告示、9日投開票)がある。かつての町並みは更地で、町民の4人に1人は今も仮設住宅に暮らす。町の復興の進め方をめぐり、現町長と元町職員の2氏が、舌戦を繰り広げている。

■現職「工事進み始めた」 新顔「待つにも限度」

大槌町の山あいの仮設住宅集会所。再選を目指して立候補を表明した、町長の碇川豊氏(64)の集会に住民約30人が詰めかけた。町長選の投開票日を2カ月後に控えた6月9日のことだ。

「町長さん、(復興工事は)早くなんねのか」。80代の女性が問いかけた。

「もう少しだけ待ってけれ」。そうかわした碇川氏に、女性は「あと2年か、3年か」とたたみかけた。「ようやく工事が進み始めたところだ。いまかじ取りを代えたら、復興が立ち止まる」と碇川氏は返した。「仮設はもうボロボロだ」「町長は『絶対いい町になる』というが、その前に死んでしまう」と声が上がった。

町は役場を含む中心市街地が壊滅した。震災前の人口の1割近い1285人が亡くなったり、行方不明になったりしている。至る所で被災者の焦りが募る。

今年5月に立候補を表明した、前町会計管理者の平野公三氏(59)は「町内にマグマがたまっている」と表現する。

震災時は町総務課主幹。旧役場で津波に襲われたが、間一髪で助かった。約140人いた職員のうち当時の町長ら40人が亡くなり町長の職務代理を2カ月間務めた。その後、町長の碇川氏を総務部長として支えた。

毎晩のように仮設住宅を回り、被災者と車座集会を開く。「4年たっても復興が中途半端。待つにも限度がある」。遅れを碇川氏の指導力のなさのせいだとし、「事業の選択と集中が必要だ」という。

一方、碇川氏は14日、後援会事務所開きでのあいさつで、「行政お仕着せの復興では百年禍根を残す。住民の考えに基づいて丁寧に進めてきた」と話した。

■宅地不足、人口減… 町民に焦り

震災から4年半がたとうとしているが、復興は思うように進んでいない。

復興事業で町の予算は10倍以上に膨らんだ。町の幹部職員の多くが亡くなり、職員不足が深刻だ。約300人近い職員のうち、今も半数以上が全国の自治体や企業からの派遣職員だ。

山が海に迫った地形のため、町内には宅地に適した平地が少ない。高台の造成工事も、所有者不明の土地が多く、買収が難航した。

さらに、景気回復や東京五輪に伴う資材高騰、業者不足が追い打ちをかけ、町は14年11月、計画変更を余儀なくされ、宅地引き渡しが最大1年以上ずれ込むことになった。災害公営住宅の整備も4割にすぎない。

人口も減り続けている。震災前は約1万6千人だったが、今年6月には1万2千人。人口減はさらに加速し、15年後には1万人を割り、25年後には8千人を下回るという推計もある。

人口減を食い止めるためには、若者を中心に働ける場が必要だ。だが、立候補を予定している2人は多くを語らない。碇川氏は「交流人口の拡大と企業誘致」、平野氏は「農林水産業の6次化による所得増」を掲げるが、住民には具体策として聞こえない。

更地の旧市街地近くに立つ「小川旅館 絆館」の5代目おかみ、小川京子さん(54)は、2人の訴えに物足りなさを感じるという。

「この町で、私たちは何で食べていけばいいのか、そこを争ってほしい」

江戸末期創業で三陸の豊かな海の幸を生かした料理が人気だった。津波ですべて流されたが、老舗の歴史を絶やすまいと震災翌年の2012年12月、2階建てのプレハブで再開した。

だが、借金を払うので精いっぱい。震災前はビジネスマンが中心だった宿泊客も、今は被災地研修の学生や復興業務の公務員が大半だ。「復興が終わると来なくなるだろう」と覚悟している。

3人の子どもに後を継ぐ意思はない。盛岡市の専門学校に通う長男景彰(ひろあき)さん(21)に営業再開直前に話を持ちかけた。返答に困る景彰さんに「自分の人生、やりたいように生きなさい」とだけ伝えた。「この町の未来像が見えない以上、無理に継げとはとても言えない」と小川さん。「復興後はどうやって大槌に人を呼び込み、減少させないようにするかビジョンを語ってほしい。それがなければ衰退は見えている。うちも遠からず、廃業を迫られることになる」

(星乃勇介)

Advertisements
%d Bloggern gefällt das: