Wiederaufbau nach dem großen Erdbeben – Kraft durch Überlieferungen

2016年07月28日

東日本大震災・三陸海の盆・鎌原観音堂 心を一つにつなぐ

 

東日本大震災・三陸海の盆・鎌原観音堂をつなぐものとは

7月28日

なぜ「三陸海の盆」なのか? 復興と郷土芸能の意味

皆さま、おかげさまで目標の40万円にはだいぶ近づきました。感謝です。ただし、20人の人々が群馬から三陸まで往復する経費は70万円を越すことが見込まれ、「持ち出し」が多く、さらなるご支援をいただけると助かります。

今回は、8月27日に南三陸町で開かれる「三陸海の盆」に、なぜ鎌原観音堂のみなさんをはるばる群馬県嬬恋村からお招きしようとするのか、東日本大震災とその復興、被災した人々にとって、郷土芸能がもつ社会的歴史的に大切な意義などについてお話しましょう。

 

震災直後に踊りを踊った大槌町・臼澤

第1回の「三陸海の盆」は、震災からちょうど5ヶ月の月命日、2011年8月11日に、岩手県大槌町の「まごころ広場」で開かれました。その目的は、犠牲者を弔い、記憶・教訓を語り継いで風化させないことを誓い、被災地と支援地、三陸全体が一体となって供養を捧げるというものです。同時に、各地に伝えられてきた郷土芸能の復活、郷土の復活を願っての「海の盆」でした。

私は残念ながら行かなかったのですが、そのときの様子は、このビデオで垣間みることができます。

 

第1回三陸海の盆(大槌町まごころ広場)

 

そこには、さらに遡るお話がありました。震災から一月やっと経った4月17日、大槌町臼澤で、郷土芸能の鹿子踊りが奉納されました。400年にわたって臼澤の部落の人々が伝承してきた鹿子踊りは、地元の人たちの魂のよりどころ、被災して避難所生活を続ける人々を元気付けようと、臼澤鹿子踊保存会館伝承館の皆さんが発案・実施したものです。

この伝承館は、20年ほど前に、400年近く伝わる踊りを保存するための練習場所、寄り合いとして、住民が自主的に建設し、運用してきた建物です。東北地方には数多くの郷土芸能が継承されていますが、多くは公民館などを拠点としていて、住民が行政の力を借りずに建物を建設・維持しているのは、臼澤の伝承館ぐらいだともいわれます。

 

臼澤鹿子踊伝承館(大槌町)

 

この踊りが、その場にいた大槌町の人たちの心を打ちました。その延長で、5月1日、まだ惨憺たる状態が続いていた大槌の人たちの気持ちを一つにするために、まごころ広場で、「復興の群舞」として、鹿子踊りの復活が宣言されました。

しかし、準備の段階では、「津波に流された肉親がまだ見つかっていない時期に踊りなんて、とてもそんな気にはなれない」、「衣装もない」、「不謹慎ではないか」と、反対する声も強かったそうです。そこを伝承館のリーダーである東梅英夫さんたちが、昔から続いてきた踊りは冠婚葬祭に欠かせないもので、歌詞には死者への弔いも含まれているという話が決め手になったといいます。また、東京から大槌に支援に来ていた山口幸夫氏(当時・社会事業大学)の、アジアでの災害の際に、民族芸能が人々の気持ちを一つにし、復興に果たす役割があると説いたことも大きかったようです。

事実、被災地で実際に踊り見ていた地元の人たちは、涙がこみ上げ、胸を打たれ、それぞれが死者たちを弔い、復興への誓いを強く思ったという。荒れた街に気持ちが戻ってきたというのでしょうか。

復興への心を一つにする郷土芸能

こうした話は、臼澤だけではなく、大槌町の他の部落にも、陸前高田にも女川にも、雄勝にも浪江にも、日本でも有数の郷土芸能の継承地である三陸各地に存在しています。(参考:「被災地における郷土芸能の現状とこれから」)

 

物質的な破壊は、人の心を荒れさせます。復興も、衣・食・住、道路など、物質面を優先させがちとなります。しかし、人々の心が荒れたままでは、復興はなかなか進みません。避難所に住み、物質的に不自由な生活が続いているときに、物質面での米、水、食料、薬などが必要なのは当然ですが、それと同時に、心の安らぎ、ともに涙を流すこと、地域の仲間と一緒になって歌い、踊り、笛を吹いてひとときを過ごす、精神面での拠り所が求められるのだと思います。

 

私自身が最初にその一端に触れたのは、2013年秋、大槌町の仮設住宅のそばの土地に開設された「まごころの郷」に、ドイツからの資金によって小さな家が新築されたお祝いに偶然参加し、棟上げ式に臼澤鹿子踊りが奉納されたのを見たときでした。それまで「郷土芸能」には正直いってまったく興味をもっていませんでした。しかし、そこで見たのは、収穫寸前の黄金色に輝く稲穂を背景に、死者の霊を供養し、新たな建物の完成を祝う踊りで、見事に郷土を表現するものでした。小学生、中学生の子どもたちが真剣に踊っていたのです。

 

三陸地方には、郷土の民俗芸能としての神楽、田楽、獅子舞、鹿子踊り、虎舞、剣舞などなどが、きわめて豊富な種類で伝承され、現在でも四季の祭りや行事の際に、大人も子供も一緒になって踊られ、地域の生活になくてはならない存在となっています。

そのなかでも、臼澤の伝承館は、津波の被害を免れた内陸部にあったことで、沿岸部で家を流され、山に逃げて火災に囲まれて辛うじて逃げてきた人々が大勢駆け込み、避難所としての機能を果たしていたそうです。その背景には、日ごろから町方の子供たちも一緒に鹿子踊りの稽古を受けていたことがあるそうです。

実は、以前であれば、郷土芸能は各集落単位で継承されるもので、他の集落の人には「門外不出」、歌詞の一句でも伝えてはならないという固い掟があったのです。しかし、人口減少が進み、少子化が進んだ最近では、そうした制約を越えて、臼澤では、他地区の子供たちにも積極的に踊りを教えていたのです。それによって、地域での交流があったことで、災害のときの支援、連携へとつながったのです。

昨年夏、六本木ヒルズでの夏祭りに招待された、臼澤鹿子踊り

 

「三陸海の盆」は、2011年の大槌町、2012年には釜石市、2013年大船渡市、2014年山田町と続けられ、2015年には県境を超えて宮城県気仙沼市唐桑の浜で開催され、東北・三陸の復興の重要な推進剤となっています。行政からの補助金もなく、規模は小さめで、地元の人たち、とくに被災した人たちが主な対象で、手作り感満載のイベントです。会場には焼きそばやホタテ焼きなどの屋台も並び、子どもたちからお年寄りまでが、一日出入りしながら楽しまれていきます。

 

なぜ、三陸では教訓が継承されてこなかったのか

三陸では、有史以前から、津波被害が繰り返し起きてきました。しかし、残念ながら、その記録、記憶、教訓は、必ずしも長く語り継がれてはこなかったことも事実です。そのため、明らかに津波が来てもおかしくない海辺にも多くの建物が建てられて、今回の津波に襲われ、多くの人命と財産が失われる結果となりました。

釜石でも気仙沼でも、市の防災課長や教育長、美術館の学芸員の皆さんが、防災対策や津波教育を一所懸命続けてきたはずなのに、「なぜ教訓の伝承/継承が十分にできなかったのか」と、震災後に訪れると、悔やんで語られるのでした。大川小学校でお子さんたちを亡くしたご遺族の皆さんも、「自分の子供はもう帰ってこない。せめて、なぜこんな事故が起きたのか、どうすれば防げたのか、これからの災害への教訓として、全国の人に広く伝え、知って考えてもらいたい」と口々におっしゃいます。

 

230年語り継いだ鎌原村観音堂の皆さん、津波の実体験を聞いて

「供養の意義がいまはじめてわかった」と。

浅間山の大噴火で村の大半の人を亡くした鎌原村の人たちは、助かった人々が結束して、必死の思いで再建・復興を果たしてきました。通常なら、世代が代わり直接の体験をもつ人がいなくなれば、教訓は風化し、記憶は失われます。それが、なぜ鎌原観音堂の人たちだけは、全国でも例外的に、稀有な伝承を今日まで続けられたのでしょうか。

先日、準備のために、「三陸海の盆」実行委員会で奔走されている臼澤良一さん(遠野まごころネット理事長)と一緒に鎌原観音堂を訪問し、奉仕会の皆さんのお話をして頂ききました。300年以上前に建てられ、煤が天井を真っ黒にしている囲炉裏端で、津波で流され辛うじて助かった臼澤さんご自身の被災体験の語りは、遠い祖先がそのような目に遭ったことを思い起こす鎌原の皆さんに、直接伝わったようでした。

9代目の直系の子孫の方は「いままで正直いえば、供養の大切さは、もうひとつわからなかった。今日のお話を聞いて、はじめてその意義がわかった気がした」と言われました。概要、以下です。

 

災害に遭って家もなくなって、家宅も押し潰されちゃってなくなるわけですよね。そういうものを復興する、畑を作る、田んぼを作る、家を作ることのほうが先なのに、それよりもなによりも供養ということが、あの和讃のなかに出てきますよね、その意味が我々にはわからなかったというか、おれはとくにわからなかった。なんでもっと復興が先にならないんだ、と。夜ごと子どもたちの泣き声が聞こえるとか、そういう意味がもう一つわからなかった。それが今のお話を臼澤さんから聞いて、やっと、わかったというか。」

 

観音堂の囲炉裏端で語る臼澤さん(左から2人目)

 

臼澤さんのように苛烈な災害を生き延びた人の語りは貴重です。しかし、年月を経れば、直接体験者は、いずれいなくなります。鎌原観音堂の皆さんは、9世代、10世代を超えての継承をしてこられました。しかし、多くの方は高齢で、後継の皆さんを確保できるかは、難しいというのも事実です。そのとき、現役での災害体験の語りを聞かれることは、もしかすると意味があることかもしれません。

被災者同士、被災地同士の交流と教訓の継承の意義は、きっとあると信じて。

次回は、8月5日に鎌原観音堂で開かれる、天明浅間大噴火の244年法要の様子をお伝えしようと思います。リターンのためのビデオ撮影も予定しています。

引き続き、ご支援のほど、そして共有・拡散のほど、よろしくお願いします。

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