2. Problem beim Wiederaufbau – Sozialer Wohnungsbau

In Rikuzentakata ist ein Gebäudekomplex bestehend aus 3 acht – und drei 9 geschossigen Apartmenthäusern mit 301 Sozialwohnungen. Wahrscheinlich werden davon 206 bezogen, ca. 25% werden allein lebende ältere Personen sein. 95 Wohnungen werden leerstehen. Die Vereinsamung ist vorprogrammiert.
Ein weiteres Problem ist, dass die Feuerwehr bisher nur Leitern für 15 Meter

hohe Gebäude besitzt (5 stöckige Gebäude). Diese Gebäude sind doppelt so hoch. Die Leitern müssen beschafft werden und die Feuerwehr muss geschult werden.

岩手

<災害公営住宅>コミュニティーづくり模索

2016年08月01日 月曜日
岩手県内最大の災害公営住宅「県営栃ケ沢アパート」

 岩手県陸前高田市で1日、県内最大の災害公営住宅「県営栃ケ沢アパート」の入居が始まる。9階建てと8階建ての2棟で、市全体の3割以上を占める計301戸を整備した。だが、持ち家が中心の市民に高層集合住宅はなじみが薄く、新たなコミュニティーづくりや防災対策が課題となっている。
アパートは高台の市役所仮庁舎近くに立地する。県大船渡土木センターによると、現段階の入居見込みは206世帯。このうち、1人暮らしの高齢者は24.8%に及ぶ。加えて入居者は市内各地から集まるとみられる。
高齢者らの相談に応じる陸前高田市地域包括支援センターの担当者は「都市型の住まいに慣れていたはずの神戸市でも、阪神大震災後に孤独死が出た。嫌になってストレスをためたり引きこもったりしないか」と心配する。
県営のため、住民サービスを担う市に入居者の詳しい情報が入らず、ケアの支障になりかねない。
県は市などと協議し、同意を得た入居世帯全員の氏名と性別、年齢の個人情報を、市や市社協、民生委員に提供することを決めた。
管理人や行政区長、班長の選任、自治会設立、入居者間交流といった課題にも連携して対応する。県大船渡地域振興センター復興推進課の米内敏明課長は「規模が大きく、コミュニティーづくりに危機感を持っている。住民の合意形成を大切に進めたい」と話す。
防災面でも懸念材料がある。東日本大震災前に中高層建物が少なかった市には消防のはしご車がない。栃ケ沢アパートをはじめ、7階以上の災害公営住宅が相次いで建ち、高さ15メートル以上の建物は9棟に増えた。
はしご車の整備については消防庁の指針でおおむね10棟を目安としているが、維持管理を含めた財源や職員態勢の問題もある。
市消防本部によると、災害公営住宅の部屋壁は鉄筋で隣室の延焼を防げるといい、玄関側とベランダ側からそれぞれ水平方向に避難しやすい構造になっている。同本部の担当者は「はしご車がなくても消防隊が支障なく上階に向かえる」と説明。今後は防火講習会を開き、入居者の不安解消に努める。

http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201608/20160801_33005.html

検証変貌するまち>読めぬ集客 出店迷う

左手の山裾に建つ災害公営住宅前のかさ上げ地が新たな市街地になる=2月10日、陸前高田市

◎(上)未来図への不安

東日本大震災の津波で壊滅した陸前高田市中心部の高田地区に、海抜12メートルにかさ上げされた約100ヘクタールの大地が誕生する。
ことし市街地区域で商業施設の集積が始まるが、住宅の整備はまだ数年かかる。新しい街にどれだけの住民が戻るのか。予測ははっきりせず、商業者は出店すべきか悩む。
先行する26ヘクタールの新市街地で今夏、大型商業施設が着工する。周辺に商店街、さらに周縁には住宅地。公共施設やJR大船渡線バス高速輸送システム(BRT)の陸前高田駅を設ける。市が描く未来図だ。

<投資見合わず>
市が貸す商店街用地の地代は被災事業者なら1平方メートル当たり年311~340円と格安だ。仮設店舗の集積を狙うが、1月末に締め切った借地申請は29事業所にとどまった。
地元商工会が2014年に実施した調査で、中心市街地での再開希望は118事業者に上っていた。市商工観光課は「スタート時としては想定内の数字」と受け止めるが、先行きは見えない。
仮設商店街でカフェを営む太田明成さん(49)は大型店へのテナント入居を考えた。だが家賃と共益費が震災前の倍となる月20万円と分かり、諦めた。
新店舗建設の見積もりでは自己負担が1500万円を超えた。「月の売り上げを30万円増やさないといけないが、投資に見合うだけの集客があるのか。借金を返すための出店にならないか」。自問を繰り返す。
仮設を限りに廃業を決めた人もいる。布団店経営の菅野幾夫さん(66)は「年も年だし、後継者もいない。潮時だ」と創業140年の老舗を畳むつもりだ。
高田地区の土地区画整理事業の計画戸数は震災前と同規模の1560。対照的に市が15年6月、仮設住民を対象にした住宅再建意向調査で、地区内の高台やかさ上げ地を希望したのは230世帯(15年9月集計)にとどまる。しかも家を建てられるのは17年度以降だ。
既に地区内の災害公営住宅に住む人は調査対象に入っていない。実際の居住世帯はこれより増えるとみられるが、市も実数をつかみきれていない。

<生活の場分散>
数年間は近隣住民がほとんどいない。地域経済を支える復興作業員は減っていく。病院や学校は高台に移り、生活の場が分散する。市街地には買い物や飲食の機能しかない。そんな街の姿が出店意欲を鈍らせる。
「またシャッター街をつくるのか、と言う人もいる。でも、誰かに設けてもらった街で愚痴を言いながら商売したいか。考えに考え、自分たちの手で魅力ある街を実現しよう」
地元商工会の中心市街地企画委員長の磐井正篤さん(59)は勉強会の度にげきを飛ばす。商店街に和雑貨店を出すが、もちろん不安だ。
「人工的に街を築く壮大な実験。でも、身の丈より少し背伸びした街にしたい」。今は笑って前へ歩くしかないと覚悟を呼び掛ける。(太楽裕克)

津波被害を防ぐため、まちが変わる。巨大事業が進む中、被災者は暮らしや日々の営みで厳しい選択を迫られた。復興まちづくりで生じた課題を追う。
2面に関連記事、

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160306_33006.html

被災地負担、反対相次ぐ 復興相、首長らと会談 復興予算

2015年4月12日05時00分

 東日本大震災復興予算をめぐり、竹下亘復興相は11日、被災した岩手県市町村長らと会談した。2016年度以降は被災地側の一部負担を検討する考えを伝えたが、自治体側からは反対意見が相次いだ。復興相は近く宮城、福島両県も訪れるが、復興予算の枠組みが固まる6月までせめぎ合いが続きそうだ。

岩手県釜石市ログイン前の続きで開かれた会合には、竹下復興相や小泉進次郎復興政務官らが出席し、被災地からは野田武則・釜石市長ら13市町村の首長らが参加した。

冒頭、竹下復興相は「復興の基幹事業は引き続き国費で対応していく」とあいさつ。その後、約2時間の会談は非公開だった。終了後、野田市長は「(国から)一部地方負担を検討しなければならないという発言もあった」と明らかにした。復興予算を国が全額負担する集中復興期間を今年度で終え、16年度以降は復興予算の枠組みを見直す考えを示されたという。

岩手県幹部によると、竹下復興相は「復興に使うお金は、国民からいただいた税金ということをおさえていただかなければ」と語ったという。

被災地側は、復興予算の地元負担に反対する姿勢を示した。大槌町の大水敏弘副町長は「市町村ごとに被害と復興の度合いが違う。資材や作業員の確保が難しい事情もくんでほしい」と訴えたという。

町では市街地のかさ上げ工事が始まったばかり。会談後、大水副町長は「町は重傷を負ってリハビリ中の段階。人口1万人の町が政令指定市並みの額の大事業を進めており、国に支援してほしい」と述べた。

戸羽太・陸前高田市長も「財政や復興状況をみて議論してもらわないと困る」と話した。市は今年度、市街地かさ上げと高台造成工事に約300億円を充てる。震災前の予算の2・7倍の規模だ。「社会教育施設や市役所も建てないといけない」とも語った。

市町村が懸念するのは厳しい財政状況だ。財政力指数は、震災前の10年度でも大槌町が0・31、陸前高田市が0・27と、全国平均の0・53を下回っていた。

会談では被災地側で負担する具体的な内容について説明がなかったという。終了後、竹下復興相は報道陣に「地方負担について共通の認識はできた」と話した。岩手県の中村一郎復興局長は「被災自治体は、自分の財布が痛まないから何でも国にやってもらったらいいという思いでは決してない」と語った。

(竹山栄太郎、斎藤徹、田渕紫織)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11700665.html?rm=150

Buchbesprechung „Rikuzentakata 2011-2014“ Naoya Hatakeyama

(書評)『陸前高田 2011―2014』 畠山直哉〈著〉

2015年7月5日05時00分

 ◇受容の意志の厳かさ、美しさ

「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない」。かつて畠山直哉はこのように書いた。写真を撮ることは自分の住む世界をよりよく知ることと同義だった。だが東日本大震災で故郷の陸前高田の風景を喪失すると、この考えは変容を余儀なくされる。故郷にレンズを向け記憶との対話が始まる。

震災前後を収めた『気仙川』に続く本書では、町が再建されるさまがとらえられている。まずは瓦礫(がれき)が撤去されなくてはならない。機械による破壊とはまったく異なる姿を晒(さら)す何百台もの押しつぶされたクルマ。波が瓦礫を持ち上げ鉄骨に引っ掛けて去った後の体育館天井の凄(すさ)まじさ。白砂の浜に林立する松の木の根っこも人間の手が造り出せない猛々(たけだけ)しい形状だ。これら破壊された事物の姿を、彼は厳粛なまでに「津波」の目になって撮っていく。

後半を占めているのは町が再建される様子だ。嵩(かさ)上げされた土地、土を運ぶために巡らされたベルトコンベア、それが川をまたぐためのつり橋、防潮用の鉄板の列。これら人間の技術力を証する、目を引きつけてやまない造形美が、考え抜かれたアングルと色彩で抽出される。そして最後のページに来て気づくのだ。ここに写っている風景は町が完成した暁には消えてなくなるということに。しかもその町が再び津波に呑(の)み込まれないという保証は、どこにもないということに。

写真はどれも非常に美しく、そう感じていいのだろうかと戸惑う人もいるかもしれない。だが、本書は長大な自然史的時間と個人の時間が交差する地点に立たされた人間の報告なのだ。自然の力にもそれに負けまいとする人間の営みにも等価な視線を注いで歩こうとする者の。写真集に流れる美しさの本質は、その受容の意志の厳かさだ。批評ではなく問うことの大切さを伝える。巻末のエッセイが素晴らしい。

評・大竹昭子(作家)

河出書房新社・4212円/はたけやま・なおや 58年、岩手県陸前高田市生まれ。97年、木村伊兵衛写真賞

Besuch im „Minna no ie“ in Rikuzentakata

Am 10.9.2014 empfing die Initiatorin des Projekts Frau Mikiko Sugawara die Studentengruppe der Summer School Sanriku Fukkou im Gemeinschaftshaus: „Minna no ie“ in Rikuzentakata. Frau Sugawara berichtete von ihren persönlichen Erlebnissen während des Tsunamis und der darauf folgenden schweren Zeit. Sie war so aktiv in der Versorgung der Evakuierten, dass sie ihr eigenes Leid zurückdrägen konnte. Das Haus ist im November 2012 eingeweiht worden, nachdem es auf der Biennale in Venedig einen Preis bekommen hat. Es wurde von der Bevölkerung gut aufgenommen. Viele Menschen kommen dorthin, um die besondere Gemütlichkeit dieses Ortes zu genießen und sich in Gesellschaft auszutauschen. Vor allem kommen aber auch viele Ausländer, da dieses Haus von sehr bekannten japanischen Architekten gebaut wurde: Siehe Artikel:

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Klicke, um auf bw_2013_4_0006-0009.pdf zuzugreifen

Nach der Flut

Text: Murielle Hladik Fotos: Naoya Hatakeyama

Am 18. November 2012 wurde im japanischen Küstenstädtchen Rikuzentakata ein Gemeindehaus eingeweiht, das auf Initiative von Architekten als „Minna no ie“ (Haus für alle) entstanden ist. Es ist Teil einer Serie partizipatorisch entwickelter Bauten, die den Bewohnern der durch Tsunami und Erdbeben verwüsteten Tohoku-Region als Gemeinschaftseinrichtungen und Begegnungsstätten dienen sollen. Nachdem das Projekt auf der Biennale in Venedig den Goldenen Löwen erhalten hatte, wurde die Einweihung vor Ort mit Spannung erwartet.

Gleich nach der Flutkatastrophe im März 2011 hatten sich die Architekten Toyo Ito, Riken Yamamoto, Kengo Kuma, Hiroshi Naito und Kazuyo Seijima zusammengesetzt, um über konkrete Hilfsmaßnahmen nachzudenken. Von Ito kam der Vorschlag, eine Gemeinschaftseinrichtung zu bauen, um den Mangel an öffentlichen Räumen zu beheben, der in den notdürftig zusammengeschobenen Containerdörfern allenthalben vorherrscht. Dieser akute Mangel an Orten der Begegnung ist umso bedrückender, als insbesondere in der Wiederaufbauphase ein hohes Maß an kollektiver Anstrengung, Interaktion und Koordination gefordert ist. Zusammen mit seinen jüngeren Kollegen Kumiko Inui, Sou Fujimoto und Akihisa Hirata entwickelte Ito die Idee, neue Gemeindehäuser, die einem prototypischen Entwurf folgen, auf das verwüstete Küstengebiet zu verteilen. Nachdem die Planergruppe international zur Einreichung von Entwürfen aufgerufen hatte, war die Resonanz enorm. Architekturstudenten, aber auch Kinder aus aller Welt reichten mehr als 900 Projektvorschläge ein, von denen eine Auswahl auf der Biennale in Venedig gezeigt wurde. Das neue Gemeindehaus von Rikuzentakata entstand auf dringenden Wunsch der lokalen Bevölkerung, die in der Flutkatastrophe alles verloren hat. Das neue „Haus für alle“ steht als ein Zeichen der Hoffnung, ein Anstoß für die Revitalisierung der ganzen Region auf einem Hügel inmitten einer verwüsteten Landschaft. Der Bau verdankt seine Existenz insbesondere Frau Mikiko Sugawara, die gemeinsam mit BürgervereinigunIn der von Tsunami und Erdbeben 2011 ausgeräumten Landschaft steht das neue Gemeindehaus in Rikuzentakata für einen tastenden Neuanfang gen das Projekt vorangetrieben hat. Zur Einweihung am 18. November kamen fast 300 Menschen. Auf dem Höhepunkt der Festveranstaltung warfen Frau Sugawara und die Architekten glücksbringende Reiskuchen in die Menge der versammelten Einwohner, Handwerker, Unternehmer und Sponsoren. Zuvor gab es einige Redebeiträge: Während Frau Tae Mori von der Japan Foundation, die das Projekt finanziell unterstützt hat, die gebaute Umsetzung der in Venedig ausgestellten Idee begrüßte, lobte Toyo Ito das Engagement der lokalen Bevölkerung und den Mut zum Neubeginn nach der Naturkatastrophe. Der Entstehungsprozess von „Minna no ie“, einem durch freiwillige, kollektive Anstrengung zustande gekommenen Gemeindezentrum, verlief nicht in herkömmlichen Bahnen: Die vier Architekten haben Größe bewiesen, und ihre individuellen Gestaltungsansprüche den Fragen des lokalen Bedarfs und des Gemeinsinns unterordneten, die Handwerker und die am Bau beteiligten Unternehmen haben nur einen Teil der tatsächlich aufgewendeten Arbeitszeit in Rechnung gestellt. Kollektive Identität und Erinnerungen Nachdem die Trümmer beseitigt waren, kamen in den verwüsteten Landstrichen Fragen nach dem Wert der verschwundenen Architektur auf. Was soll wiederhergestellt werden? Welche Bauten haben eine besondere Bedeutung für die Erinnerung? Welche der zerstörten Bauten werden schon bald ganz vergessen sein? Außer den zahlreichen Menschenleben ist tatNach der Flut Text: Murielle Hladik Fotos: Naoya Hatakeyama Am 18. November letzten Jahres wurde im japanischen Küstenstädtchen Rikuzentakata ein Gemeindehaus eingeweiht, das auf Initiative von Architekten als „Minna no ie“ (Haus für alle) entstanden ist. Es ist Teil einer Serie partizipatorisch entwickelter Bauten, die den Bewohnern der durch Tsunami und Erdbeben verwüsteten Tohoku-Region als Gemeinschaftseinrichtungen und Begegnungsstätten dienen sollen. Nachdem das Projekt auf der Biennale in Venedig den Goldenen Löwen erhalten hatte, wurde die Einweihung vor Ort mit Spannung erwartet. 6 betrifft Nach der Flut Bauwelt 4| 2013 Bauwelt 4| 2013 7 ächlich nicht nur der Verlust menschlicher Artefakte zu beklagen, sondern auch der Verlust des Grundes, auf dem sie einst errichtet wurden. Die gesamte wirtschaftliche, geistige und soziale Landschaft der Küstenregion hat sich radikal ver- ändert. Dieser Wandel wurde von dem Fotografen Naoya Hatakeyama eindringlich festgehalten. Hatakeyama stammt aus Rikuzentakata und fotografierte immer wieder die Landschaft seiner Kindheit, bevor der Tsunami die Hafenstadt, in der 23.000 Einwohner lebten, fast vollständig dem Erdboden gleichmachte. Die fotografische Arbeit von Hatakeyama, einem der Akteure von „Minna no ie“, förderte den Dialog der am Projektbeteiligten Gruppen und Verbände. Die Bilder der Erinnerung unterstützten die Wiederherstellung sozialer Bindungen. Der Neubau Das Projekt nahm bereits im Verlauf der ersten Treffen im Oktober 2011 Gestalt an. Im Dezember wurden Entscheidungen vor Ort bezüglich des Grundstücks und seiner Zugänge getroffen. Im Juni 2012 begann die Phase der Realisierung, die das Team der Zimmerleute aus der Präfektur Yamagata vier Monate lang in Anspruch nahm. Für die Tragstruktur des Gemeindehauses wurden vom Tsunami entwurzelte rote Zedern verwendet. Die grobschlächtigen Tragglieder wirken wie archaische Säulen und erinnern an die monumentalen Holzpfeiler japanischer Shinto-Schreine. Von großer Bedeutung ist auch die sinnliche Materialität des Holzes, dessen Geruch die Innenräume des Baus ganz ausfüllt. Das Gemeindehaus, dessen vielseitig nutzbaren Räume in ein Bündel von aufragenden Holzsäulen eingefügt sind, vermittelt den Eindruck eines unfertigen, lebendigen und offenen Kunstwerks. Außer den Volumina des Hauses tragen die massiven Stämme auch die Treppenanlage, die den Bau spiralförmig umfängt. Auf dem Weg nach oben laden großzügige Plateaus zum Verweilen ein. Schon jetzt dienen sie als Treffpunkt, aber auch als Aussichtsplattform mit Blick in eine offene Landschaft, in der nichts mehr so ist, wie es einmal war. Schließlich muss noch die zentrale, sehr einfache Herdstelle erwähnt werden: In der alles umhüllenden Wärme des Holzfeuers wird diskutiert, gekocht und gegessen. In elementarer und archaischer Weise entsteht in der Gemeinde Rikuzentakata die Architektur neu. Es wäre völlig verfehlt, ihre spröde Qualität mit dem Fetischcharakter der publizistisch gewürdigten Bauproduktion unserer Tage zu vergleichen. An der Architektur des „Minna no ie“ sind auch nicht die formalen Ambitionen begnadeter Entwerfer abzulesen. Es verkörpert vielmehr den einfühlsamen und tastenden Versuch, den traumatisierten Menschen zu entsprechen, denen der Rahmen ihrer alltäglichen Rituale so tragisch abhanden gekommen ist und die an ihrem kaum mehr wiederzuerkennenden Ort aufs Neue heimisch werden wollen.

Some Tohoku disaster areas on fast track to rebuilding while others stuck in slow lane

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Es wird noch zwei Jahre dauern, bis hier – in Rikuzentakata – am Meer Geschäfte gebaut werden können  – mithilfe dieser gigantischen Transportanlage wird die Erde, die auf einem Berg abgetragen wird, auf die Ebene gefördert. Mit LKWs hätte es ca. 10 Jahre gedauert. – Aber ist dieser auf 10 – bzw auf 14 m angehäufte Grund so stabil, dass er bebaut werden kann – wie viel Zeit muss er sacken und wie häufig verdichtet werden? Auf der Ebene dürfen nur Geschäftshäuser errichtet werden – das bedeutet für die Menschen zwei Mieten – einmal für die Wohnung auf dem Berg, einmal für das Geschäft. In den temporären Einkaufszentren sind viele Händler schon über 65 Jahre – sie können sich die beiden Mieten nicht leisten, müssen aber irgendetwas weiter arbeiten – immer noch viele Probleme, die man auch mit High Tech nicht lösen kann.

BY SHUSUKE MURAI

STAFF WRITER

This is the first of a five-part series on the lingering impact of the March 2011 earthquake, tsunami and nuclear disaster on the three hardest-hit prefectures in the Tohoku region.

“Bridge of Hope” is the name of a temporary span over the Kesen River in Rikuzentakata, Iwate Prefecture.

It connects a hill where construction is underway to create a residential area on high ground and to raise a low-lying coastal zone where 4,045 dwellings were destroyed by gigantic tsunami on March 11, 2011.

The bridge is not for people. Built in front of the city’s symbolic “miracle pine tree” that survived the tsunami when the rest of its grove was swept away, the temporary bridge is a link in a 3-km-long conveyor belt system that carries 40,000 tons of soil and gravel — the equivalent of 4,000 10-ton truckloads — from the hill every day.

Four years ago, 18-meter-high tsunami hit the coastal city and killed 1,556 residents; 207 are still listed as missing.

The waves also devastated the city’s famous oyster farms and a pine forest the government had designated as one of 100 locations nationwide of special scenic beauty.

Rikuzentakata is one part of the Tohoku region aiming to fast-track its rebirth and become a safer place to live.

To that end, the city is building two seawalls 1.8 km long, one 3 meters high and the other 12.5 meters, as part of efforts to mitigate the threat of future tsunami. It is also elevating the land in the coastal zone by some 10 meters.

Thanks to the conveyor belt system built in March 2014 by general contractor Shimizu Corp. at a cost of ¥12 billion, the city can shorten the time it will take for the reconstruction work from an initially planned nine years to two.

Besides being efficient, the conveyor system offers hope to the tsunami survivors waiting to get back to a semblance of normalcy, Rikuzentakata Mayor Futoshi Toba said.

“Thanks to the eye-catching machine that symbolizes the reconstruction by operating every day, survivors can experience step-by-step progress,” he said, adding that the conveyor system, which has rarely been used for ordinary construction work, has also drawn sightseers.

Seeing the progress with their own eyes is “much more encouraging for people” than what officials can do behind closed doors, the mayor said.

Rikuzentakata’s progress represents Tohoku’s hopes — and struggles — to reconstruct life as usual.

With most of the tsunami debris disposed of by last March, except for in some no-go-zone and evacuation areas in Fukushima Prefecture where radioactive decontamination work is still underway, Tohoku has finally started full-scale building of permanent dwellings, both detached houses and condominiums, for survivors who lost their homes in the disaster.

Many survivors, however, are still in limbo as municipalities face delays in providing permanent housing units.

Iwate Prefecture had constructed 1,049 publicly funded replacement homes for survivors as of January — just 18 percent of the 5,933 units planned to be built by September 2018. The deadline was initially March 2018.

Miyagi is also experiencing construction delays.

As of January, the prefecture had built 2,692 housing units, or 17.4 percent of 15,484 units planned to be completed by March 2018.

In Fukushima, only 261 units, or 5 percent of the 4,890 units planned by March 2018, were available for nuclear disaster evacuees as of January. Also, just 1,190 replacement houses, or 44 percent of the 2,702 units planned, were constructed for tsunami and earthquake survivors in the prefecture.

The delay is due to the rising cost of labor and construction materials, Iwate Gov. Takuya Tasso said.

Meanwhile a vast number of people continue to live in temporary housing units.

In Iwate, 22,300 people were still in prefab temporary housing as of January, down a mere 13 percent from 25,619 last March.

Miyagi in January still had 35,332 people living in temporary shelters, down 16 percent from the 42,310 listed 10 months earlier.

The situation in Fukushima also remains problematic, with 24,098 people still living in temporary housing in January, even though 15 percent of 28,367 had moved away from such units as of last March.

The number of temporary shelter dwellers is surprisingly high, considering that all displaced survivors of the 1995 Great Hanshin Earthquake had moved out of similar housing five years after that disaster. The Hanshin temblor caused greater structural damage than the 2011 Great East Japan Earthquake, but there were no huge tsunami.

Industries in the Tohoku region are also suffering from slumping sales and manpower shortages.

Seafood production in Tohoku remains low. According to a survey by the Fisheries Agency between November and January, just 53 percent of facilities in Iwate Prefecture were operating at 80 percent or above of their pre-disaster levels. In Miyagi and Fukushima prefectures, the number is even lower, at 50 percent and 25 percent, respectively.

Worse, the percentage of facilities at or above the 80-percent production threshold hasn’t changed much since last year’s survey, which recorded 57 percent in Iwate, 49 percent in Miyagi and 24 percent in Fukushima.

A recovery in seafood sales has also foundered, with this year’s survey showing just 58 percent of firms in Iwate reaching 80 percent or above pre-disaster levels. The figure is 40 percent in Miyagi and a mere 21 percent in Fukushima.

Iwate Gov. Tasso said the slumping sales in Tohoku fisheries is due to delays in the recovery of factories to process fish products, and radiation fears stemming from the Fukushima nuclear disaster.

Despite abundant job opportunities, the three hardest-hit prefectures are suffering a labor crunch.

Local industries, especially fish processing, construction and nursing care, are suffering from the shortage of human resources. Specialists who can take the lead in constructing infrastructure for community development are also in short supply, Tasso said.

Some Rikuzentakata residents don’t hide their anxiety about life after reconstruction.

Taxi driver Haruyuki Sato doubts people want to return to live in areas where they lost their homes to the tsunami.

“I can’t foresee how the city will turn out (after all the reconstruction ends),” he said.

Some citizens oppose the city’s planned seawalls, which will mar the traditional coastal scenery and the planned 70,000-tree pine forest to be planted on land between the embankments.

Midori Murakami of sightseeing promoter Marugoto-Rikuzentakata said that as the construction progresses, there is an emotional gap between locals who lost loved ones in the disaster and those who didn’t.

“Some people complain about creating a (raised-ground zone) on land where about 200 missing people may be buried,” she said. “But otherwise we can’t move ahead. . . . I feel both excitement and concern while the reconstruction advances.

“But local people are looking forward. . . . Thanks to the reconstruction, I get to know many new people and we work together,” she added.

Fiscal 2015, which starts next month, will mark the fifth year of Iwate’s eight-year reconstruction plan and the second year of its three-year “full-fledged” effort to rebuild housing, lives and industries for survivors. The estimated reconstruction budget will reach ¥1.1 trillion, the highest since the disasters if not counting past debris disposal, the governor said.

“When thinking about disaster victims . . . I feel it’s a mission for us survivors to reconstruct a city filled with smiles . . . (so) that even the most depressed people come here and become encouraged by finding diverse people at work and full of pride,” said Rikuzentakata Mayor Toba, who lost his wife in the disaster.

Fiscal 2015 will also be the final year of the government’s ¥25 trillion five-year reconstruction budget, which Toba said is the biggest concern for those hoping the rebuilding work won’t grind to a halt.

The administration of Prime Minister Shinzo Abe has not made an official plan on whether or how to distribute the reconstruction budget after March 2016.

Toba is worried that the apparent waning sense of crisis among the public may lead to policymakers placing less priority on reconstruction.

“If possible, I want as many people as possible to visit the reconstruction sites — not necessarily Rikuzentakata — while the damage from the great earthquake still remains. Then, I want them to revisit after five, 10 years (to see the dramatic changes after the reconstruction),” he said.

“All bereaved families have something unforgettable inside them . . . but I think even that sorrow may turn to become an unbeatable energy (to generate positive effects).”

Ihre Freude ist unsere Freude

Konzert „Ihre Freude ist meine Freude“

Konsul Yasushi Fukagawa lud am Sonntag 15. März 2015 aus Anlass des vierten Jahrestages der gigantischen Naturkatastrophe im Nordosten Japans vom 11. März 2011 eine Vielzahl von Institutionen und Privatpersonen ein, die sich auf verschiedenste Art und Weise für die betroffenen Regionen eingesetzt hatten und mit großem Engagement japanische Landsleute in der schweren Zeit unterstützten.

Ein Bericht über die Veranstaltung mit einer Kurzfassung des Berichtes von

Frau Gesa Neuert zu Spendenprojekten in Tohoku finden Sie hier:

Ihre Freude ist unsere Freude

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Japan after the tsunami – 進まぬ震災復興 東京五輪が奪うヒトやカネ

Auch vier Jahre nach dem Tsunami lässt der Wiederaufbau an der Sanriku Küste auf sich warten. Die Bauvorhaben für die Olympiade 2020 in Tokyo verteuern die Baumaterialien und das Interesse der Bauunternehmer, sich in Tohoku zu engagieren ist drastisch gesunken. So müssen die Evakuierten noch einige Jahre in ihren temporären Containern ausharren.

http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding

Japan after the tsunami

Grinding on

Rebuilding the north-eastern region of Tohoku is being bungled

NEARLY four years after north-eastern Japan’s huge earthquake, tsunami and nuclear meltdown on March 11th 2011, more than 170,000 people are still stuck in temporary housing along the ravaged coast. One of them is Sumiko Yoshida, a woman in her 70s who lives with her husband in cramped, mouldy quarters in Rikuzentakata, a fishing port that was washed away by the tsunami. More than 1,750 people died there, including the Yoshidas’ son, Isao, a city official who was helping others to get to higher ground. With no place to call home and no butsudan (household altar) for her son, Mrs Yoshida says she cannot properly mourn him—a photograph on a makeshift table has to do. She has suppressed her grief for so long, she says, that the tears will not come.

http://infographics.economist.com/2015/RikuzB4AFTA/RikuzA.html

Japan’s prime minister, Shinzo Abe, says that the devastated north-east is a crucial test of his plans to revive the country’s economy. Indeed, an early campaign stop for the general election last December was one of many prefabricated housing blocks crammed into school grounds in Rikuzentakata. Yet other national priorities seem to trump the region’s reconstruction. A building boom fuelled by Mr Abe’s monetary and fiscal stimulus has sucked construction capacity away from the north-east to Tokyo, where deals are more lucrative. Locals ask why the capital is building an ostentatious stadium for the Olympic games in 2020, when the poor and elderly who lost their homes in the tsunami are still not rehoused. Takuya Tasso, governor of Iwate, one of the worst-hit prefectures, says the government is losing interest in the region.

From the start, reconstruction called for money, energy and vision. In the months following the disaster locals showed great resilience, and volunteers from other parts of the country flocked to help. Some 20m tonnes of debris were quickly cleared. Hopeful planners sketched out new towns built on higher ground, powered by renewable energy. Some people even wondered whether rebuilding the north-east could pull the whole country out of its economic stagnation.

Given those early hopes, the slow progress has been hugely disappointing. Up and down the coast, much infrastructure has not been replaced and only a sixth of planned new construction of public housing has been finished. Drive through the wasteland of Rikuzentakata, and satellite-navigation screens eerily show where every house, petrol station and municipal building formerly stood. The city is only at the stage of moving earth from a nearby mountain to fill in land that sank by a metre (three feet) during the earthquake.

As for Ishinomaki, a city in Miyagi prefecture where 3,700 residents drowned in the tsunami, only 150-odd households have moved into permanent new housing, with 12,700 people still in temporary quarters. City officials in part blame the bureaucracy in Tokyo for delays in reconstruction. Ishinomaki’s mayor says it took six months for the farm ministry to allow paddy fields to be rezoned as land for a new city district.

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In many towns and villages, the early solidarity is now fraying as those with money build new homes. There have been disagreements between generations. Older residents are reluctant to leave coastal villages and family graves for good—many made a good living from oyster farming and fishing. Younger generations, by contrast, want to live in bigger, consolidated communities on higher ground behind the coast. Doubts that such towns will ever be built have quickened the region’s depopulation, under way even before the tsunami. The population of Iwate, the most northerly of the three prefectures that bore the brunt of the tsunami, has declined by 46,000 or nearly 3% since.

After the disaster the central government pledged ¥25 trillion ($213 billion) over five years. Yet the system bars much public money going directly to the victims. Those who lost homes can get a maximum of around ¥3m (many houses were uninsured). Many folk are in financial straits, often still paying mortgages on houses that were swept away and too poor to join communities planning to move to new towns.

Meanwhile, it is often the bosses of construction companies, rather than local officials or central government, who pick and choose what is built. When Rikuzentakata’s city government recently asked companies to bid for the construction of a new junior high school, developers said the budget was a third too low, and the project failed. A consequence is that local banks are brimming with government cash that is not being spent. In Kesennuma, a fishing port in which over 1,360 people died, the first new public-housing block for evacuees has only just opened. Construction firms are generally refusing to build such housing, says its mayor, Shigeru Sugawara. Japan’s reconstruction agency insists that project budgets are reasonable. But with labour and materials costs high, and a boom elsewhere, construction firms can cherry-pick what they take on.

In Kesennuma, for instance, they are happy to pour concrete into the first of over 70 new sea walls planned for the city of 67,000. These are walls, up to 90m wide and 15 metres high, which the central government decreed in 2011 were necessary to protect the north-eastern coastline. Up to ¥1 trillion is to be spent on them. Yet the sea walls are using up money that could be better spent elsewhere. The monstrosities are both unpopular and of little use. Even the land ministry admits that the planned walls would not have coped with the earthquake and tsunami of four years ago. Local leaders say they are moving ahead with the walls mainly because the central government insisted on them.

As for the evacuees, the real deadline for their rehousing may prove to be 2020, says Satoru Ito, who set up a non-profit organisation to help residents of Rikuzentakata after he lost his mother and home in the tsunami. For if they are still in temporary housing by the time of the Olympics, Mr Ito asks, “what will foreigners think?”

東日本大震災から間もなく4年。被災地の復興はいっこうに進んでいない。津波で家を奪われた人々はいまだに仮設住宅で先の見えない生活をしている。アベノミクスと東京五輪開催が起こした建設ラッシュは、被災地から人手や資材を奪い、一層復興を遅らせている。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災と津波、その後の福島第一原発のメルトダウンから間もなく4年がたとうとしている。いまだに17万人以上の人々が荒れ果てたままの海辺に並ぶ仮設住宅で先の見えない生活をしている。

防災対策庁舎前で犠牲者の冥福を祈る復興工事の関係者たち(2014年9月11日、宮城県南三陸町)
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防災対策庁舎前で犠牲者の冥福を祈る復興工事の関係者たち(2014年9月11日、宮城県南三陸町)

そのうちの1人、70代のヨシダスミコさんは、津波に流された港町、岩手県陸前高田市の窮屈なカビ臭い仮設住宅で、夫と暮らしている。陸前高田市では1750人以上の人が亡くなった。ヨシダさんの息子イサオさんも、市職員として人々を高台に避難させていて命を落とした。

自宅と呼べる場所もなく、息子のための仏壇も持っていないヨシダさんは、息子をちゃんと弔うことができないと嘆く。間に合わせのテーブルに置かれた遺影だけがその役割を果たしている。彼女は長い間悲しみを抑えてきたので、涙はもうでないと言う。

■もうけが大きい東京の建設案件

安倍晋三首相は、東北の被災地復興は、自らが進める経済再生計画の極めて重要な試金石になると述べている。実際、安倍首相は、昨年12月の衆院選の早い段階で、陸前高田市にある学校の校庭にびっしりと並んだプレハブ住宅の1つに遊説に訪れた。

しかし今は、その他の課題が被災地復興よりも優先されているようだ。安倍首相が進める金融及び財政刺激策によって建設ブームが起こっており、東北地方に行くはずの人手や資材が東京に奪われている。東京で行われる建設案件の方がもうけが大きいからだ。

東北の人々は、こう疑問を口にする――津波で家を失った高齢者や貧しい人々がまだ新しい家に移っていない状態なのに、なぜ東京は2020年五輪のために派手な競技場を建設しようとしているのか。震災の被害が最も大きかった県の1つ、岩手県の達増拓也知事は、政府は東北への興味を失いつつあるのだと指摘する。

被災地の復興には、そもそも最初から資金とエネルギーとビジョンが必要だった。震災後の数カ月間、地元民たちは素晴らしい回復力を見せた。被災地を助けようと、各地からボランティアも集まってきた。これによって、約2000万トンのがれきがあっという間に取り除かれた。

希望に燃えた担当者たちは、再生可能エネルギーによって賄われる新しい街を高台につくる構想を描いた。東北の復興によって日本経済が景気低迷から脱出できるのではないかと考えた者すらいた。

■失われつつある連帯感

こうした最初のころの希望を考えると、復興がなかなかはかどらない現状は極めて残念だ。海岸線を見渡しても、新しくなったインフラはあまりない。計画された公営住宅の建設もわずか6分の1しか完了していない。

分別して集積されたがれき(2011年5月25日、宮城県石巻市)
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分別して集積されたがれき(2011年5月25日、宮城県石巻市)

陸前高田市の荒れ地をクルマで走ると、カーナビの画面には以前そこに建っていた住宅やガソリンスタンド、市庁舎が不気味に映し出される。同市は現在、地震で1メートルも沈下した地盤を埋めるために、近くの山から土を運んでいる段階だ。

一方、津波で3700人の住民が亡くなった宮城県石巻市では、新しい恒久住宅に移ったのはわずか150余世帯。いまだに1万2700人が仮設住宅で暮らしている。市当局は、復興が進まない原因の一端は国の官僚主義にあると非難する。石巻市長によると、新たに町を作るため水田だった土地を市街化区域へと区分変更するのに、農林水産省は6カ月もかかったという。

多くの町や村で、震災直後に存在した連帯感が失われつつある。お金のある人は次々と新しい家を建てているからだ。世代間の意見の相違も顕著だ。年配の人は海沿いの村や家族の墓から永久に離れたくないと思っている――彼らの多くがかきの養殖や漁業で良い暮らしをしてきた。一方、若い世代は、海岸から離れた高台の、より大きく統合された共同体で暮らしたがっている。

そのような町が果たして建設されるのかという疑念が、津波が発生する前から進んでいたこの地域の過疎化を加速している。津波被害を受けた3県の中で最も北に位置する岩手県では、震災以来、人口が4万6000人減少している。これは県の総人口の約3%に当たる

震災後、政府は5年間で25兆円に及ぶ復興予算を約束した。だが、制度的な問題のために、公的資金の多くは被災者の元に届いていない。住宅を失った人がもらえるのは最大でも300万円程度(多くの住宅が保険の補償対象外だった)。多くの人が経済的に厳しい状態にあり、津波に流された家のローンを今も払い続けている場合もある。そして、経済的余裕がないために新しい町への移転を計画するコミュニティーに加わることができない。

■建設会社は仕事をえり好み

何を建設するかを決めるのは、自治体でも政府でもなく、建設会社の社長である場合が多い。以前、陸前高田市で中学校の新校舎を建設する入札を行ったところ、業者たちは予算が3分の1低いと言い、入札は不調に終わった。こうした事態が増え、使われない政府の現金が地方の銀行にあふれかえっている。

1360人以上が犠牲になった漁港の町、宮城県気仙沼市では、避難者向けの公営住宅の第1号が完成し、入居が始まった。同市の菅原茂市長は、こうした住宅建設のほとんどの案件を、建設会社は拒否すると言う。復興庁は、公営住宅建設の予算は妥当な金額だと主張する。だが、ほかの場所で建設ラッシュが起き、労働コストや資材コストが上がっている今、建設会社は引き受ける仕事をえり好みできる。

例えば人口6万7000人の気仙沼市に70カ所以上建設することになっている巨大防潮堤は建設会社にとって人気のプロジェクトだ。これは最大で幅90メートル、高さ15メートルの壁で、政府が東北の海岸線を守るために必要だとして、2011年に建設を命じた。最大1兆円が防潮堤の建設に費やされることになっている。

防潮堤は、別のところでもっと良い使い方ができるはずの予算を食いつぶしている。この巨大建造物は住民の間で人気がないばかりかほとんど役に立たない。国土交通省ですら、この壁は4年前の地震と津波に耐えられなかっただろうと認めている。自治体のリーダーたちは、防潮堤の建築を推進しているのは、主として、政府がそれを求めているからだと語る。

避難民の住宅問題を解決する本当の期限は2020年になるかもしれない。津波で母と家を失った後、陸前高田市の住民を助ける非政府組織(NGO)を設立したイトウサトル氏はこう言う。もし、東京オリンピックのときにまだ彼らが仮設住宅に住んでいたとしたら、「外国の人たちはどう思うだろうか」とイトウ氏は問う。

(c)2015 The Economist Newspaper Limited. Feb 7th 2015 All rights reserved.

英エコノミスト誌の記事は、日経ビジネスがライセンス契約に基づき翻訳したものです。英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。

Link

Luftaufnahmen der zerstörten Küstenstädte in Tohoku

復興庁は5月9日、震災直後からの復興の状況を示す基礎資料の1つとして「空から見る復興の状況」を整理・公表しました。

写真は撮影地点一覧と、比較写真の例(大船渡市・大船渡駅周辺地区と、陸前高田市・高田地区)

『空から見る復興の状況(2014年3月31日)』
復興庁・2014年5月9日公表(PDF):

Betonwälle – 14,5 m hoch – geplant als Küstenschutz

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Betonwälle - 14,5 m hoch - geplant als Küstenschutz

Planungen zum Küstenschutz in Kesennuma, Rikuzentakata, Otuchi und Taro:

‪#‎Japan‬ – ‪#‎Erkundung‬ von ‪#‎Tokyo‬ und ‪#‎Tohoku‬:
Während der 2. ‪#‎Deutschjapanischen‬ ‪#‎Summerschool‬ ‪#‎Sanrikufukkou‬ werden wir vom 7.9. bis zum 15.9. die Städte ‪#‎Kesennuma‬, ‪#‎Rikuzentakata‬, ‪#‎Otsuchi‬ und ‪#‎Taro‬ besuchen und mit Wissenschaftlern, Politikern, Behörden und Betroffenen über die Pläne und Umsetzungen der geplanten ‪#‎Betonwälle‬ – teilweise bis 14,7 m hoch sprechen. An einigen Orten waren die Proteste gegen diese Planungen so erfolgreich, dass nun neu geplant werden kann. In Rikuzentakta und Taro werden bereits Berge abgetragen, zum einen um dort Baugelände zu gewinnen und neue Wohnanlagen zu bauen, zum anderen, um das Bodenniveau an der Küste anzuheben.